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一路です。

2025年9月28日(日)、オンライン小説ゼミを開催しました。
今回の参加人数は、申込自体は7名だったのですが、
キャンセルがあった関係で、最終的には4名になりました。
少人数になったので、みなさんにはたくさんお話してもらえたかなという気がします。

また、課題作品が最初の予定では3作品だったのですが、
うち1作品がゼミ直前の提出になったので、初の宿題方式にしました。
参加したみなさんには、後日読んだ感想をメールでいただき、
シェアする予定です。

今回の課題作品のうち、一つは作者が体調不良で欠席されたので、
もう一つの方をじっくり時間をかけて話し合いました。
今回はそちらの作品を中心に書こうと思います。

この作品は、一読するとちょっと難解というか、
どういう意図で書いたのか、
小説なのかエッセイなのか少しわかりにくく、
そして人によっては誤解を受けがちな主張が強めな作品でした。
どんな方が何のために書いたのかという点について、
私は気になっていたのですが、
提出された方は非常に穏やかな方で、
ご自身の経験や考えを書かれたとのことでした。
作者と作品のギャップを感じました。
他の参加者の方も「アナーキーな方かと思った」と言われていました笑

一読すると社会への憤りが至る所に書かれるので、
そちらに気を取られがちになるのですが、
実は最後にオチがあります。
ニーチェの価値の転倒のような、
攻撃対象に自分自身も取り込まれているという、
パラドックスのようなものが描かれている作品でした。
ただその主張の強さゆえに、
面白さが伝わりづらいというところがあるので、
憤りの的を絞ったり、ラストもう少しオチが伝わりやすいように変えたらどうかということを私からは提案させてもらいました。

その後、他の参加者の方からの感想をもらったのですが、
私も思わずなるほどと思ったことがあったので記録しておきます。

参加者の方から、これは自虐だと思うが、
もっとドライに書かないとウェットな部分が残ると自虐は笑えない
という指摘がありました。
西村賢太の作品を例に挙げられており、
確かに西村作品は私小説でありながら
客観的に書かれているので、私もそうだなと。
自虐という視点に、なるほどと思いました。
一方で、別の方で太宰治が好きな方がおられて、
太宰の自虐はウェットな部分が多いけど面白く読めるという話があり、
どちらの意見もわかるというか。
自虐が笑えるかどうか、
どのような書き方をするかいろいろな形で書いてみて、
自分なりの表現の仕方を探すのもいいのではと思いました。

以上です。
次回は11月の予定ですが、日程調整ができなかったら12月にずらすかもしれません。
また日程が決まり次第お知らせしますので、ぜひご参加ください。
お待ちしています⭐︎
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